cisil-アマネ-の隠れ家のような何か

cisil-アマネ-の中のヒトのあれこれ

「楽しいことがつまらなくなった」


(何てことない、日常の話……からの思考の発展)

 

.。o○ ○o。.

 

「つまらなくなったんだよね」

とある人の呟きに、内臓を抉られるような痛みを覚えた。

 

この言葉は私に対して言ったわけではない。なのに、「ああ、そうなのか」と納得するような、諦めのような、悲しいような、はっきりとしない感覚だけがぼんやりと渦巻いた。

 

「つまらない」という言葉は「意味がない・不要だ・価値がない」という言葉に似ているし、何かが目の前で切り捨てられるようでどうにも不安になるのかもしれないし、直に自分の作品に叩きつけられたら立ち直れるかなー、などと考えつつ、その日は別れて帰路に着いた。

 

 

……今まで楽しかったことがつまらなくなる理由って何だろうか。
楽しいことを楽しいと思えないくらい、疲れているからなのか。
嗜好が変わったのか、それとも、思考が変わったのか。
単に「それを好きでいること」で、居心地が良かった場所を得ていただけ、なのかもしれない。
何で昨日までの私は、あんなものを大切にしていたのか……と首を傾げるようなことも稀にある。手離したくなくて握り締めていたはずなのに、気付けばただ自分を苦しめるだけのトゲだった……なんてことも、よくある。
色々と理由は思い付く。人それぞれだ。

 


物事が、つまらなくなった。相手が、つまらなくなった。何もかも、つまらなくなった。
じゃあそう感じた時、君は、私は、どうする?
つまらないものを“今は”つまらないと思いながら、もう少し先で何か変わるんじゃないかと待つこともいい。楽しいものを探しに出ていくことも出来る。一旦休んでから決めるのもいい。
そこに正解はなくて、間違いもない。


私がもし何かに対してつまらないと感じたら、バッサリと辞めてしまう派だ。それはもう、バッサリと。今までの愛着はどうした、などと聞かれそうだけど、「つまらない」と感じながらも続けるのは自分にも相手にも失礼だ、と思っているし、大切だったからこそ、失望などの“負の感情”を見せつけたくないなあ、と思ってしまう。
何らかの事情でバッサリと出来ない、もしくは惜しいと感じているなら、一旦距離を置いて、一度忘れてから考えるだろう。距離は作る。そこから意見を出すなり何なりして、何かしら模索はしていくと思う。あくまで自分は……という話にはなるけども。

 

で、“君”はどうするんだい?


.。o○  ○o。.

 

(自分用確認事項→つまらない、の定義。自分がつまらないと感じる時の周囲の状況や精神状態の観察。打破の方法)

 

.。o○  ○o。.

 

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